ペコちゃんは天国へ旅立ちました…

精一杯生き抜いたペコちゃんが 天国へ旅立ちました。

ペコちゃんのことは→こちらを見て下さいね。

このことを記事にしようかどうしようか、何日か迷っていました。

以前のブログで、家族のことの触れることを書いた時に、トラブルがあったので、こちらではあまり自分の気持ちとかは書かないようにしていた、と言うこともありますし、このことに対してコメントするのには、ためらいが(いろんな意味で)あったからです。

でも、ペコちゃんのことを、そして、癌の事、そしてそれにまつわることを、少しでも知っていただければという、思いで、書いています。



実は慶も、父親を腹膜嚢腫という、(腹膜に癌が出来る)特殊な癌で亡くしました。

腸が閉塞するまでの間の何年かは様々が症状に苦しめられていましたが、どこが悪いのかわからないでいました。


結局末期になって腸が閉塞して食べることも水も飲めず、鼻から腸液を抜く管を入れ、腸の閉塞した場所がわかるまで2カ月そして、開腹手術するまでの2ヵ月、合計4カ月。大丈夫、社会復帰が出来ますとの医師の診断で、待ちわびた手術。

けれども開腹間もなく、医師に呼ばれて言われた言葉は「腹膜に星のように小さな腫瘍が出来ていて、それがあらゆる臓器に広がって取り除くことはできません。閉鎖していた小腸だけ切ってつなぎますが、腸だけでも何箇所も外から腫瘍が出来ていて、また閉鎖してしまうでしょう。早ければ2週間、長くて2カ月の命です」でした。

腹膜に出来た癌は点状のもので、画像にはうつらないものだったそうです。今なら、PETなどで発見できるのかもしれません。

父親に告知するかどうかと聞かれ、生きる希望を失うのではと思い、告知せず、そして、抗がん剤も使わずという、道を選びました。
その後長くて2カ月と言われた命は、丸1年ながらえ、癌と知っていたかどうかはわかりませんが、最後まで壮絶に痛みと闘って、力つきました。

父親はそれでも、70まで仕事をし、退職後もやりたいことはたくさんあり、手術後も、「先生が何でも食べていいし、何してもいいといった」と母親を連れてあちこち小旅行に出かけていました。

まだ、緩和ケアも一般的ではなかった時で、最後は本当につらい状態でした。

その苦しみは家族にとっても辛いものです。

自分の父親も命の限り生き抜いた、という、思いはあります。

お父さん、楽になったんだよね。もうこれ以上頑張らなくてもいいよ。ありがとう。

と言いながら、でも、最後の日に言葉を交わすことが出来なかったのが、心残りだった。

見送った後も、「これでよかったのか?あの時告知しなくてよかったのか?別の道があったのではないか(別の治療が)?」残された母親の心のケアも含めて、今でも繰り返し「これでよかったのか?」と思うのです。

癌と、戦いながら、最後まで明るく生き抜いて天国へ行ったぺこちゃん。

ペコちゃんがしばらく更新がなく、そして、明るく復活の記事。

今回もまたきっと、と、いつしか奇跡が起きてと思っていました。

でも、それはかなわぬやはり夢でした。

泣かないでいよう、と思うのですが、駄目です、涙は止まりません…。

この記事も書いたり消したりしながら、迷い迷い書いています。

何をどうかいていいのかまとまらないままですが、ペコちゃんのブログ、そして、が出ましたので、是非ご自分の目でご覧下さい。

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この記事へのコメント

オラケタル
2011年01月29日 22:07
お父さんの最後。何時のころでしょうか。
何十年も前のことでしたが知り合いが肝臓がんで亡くなったとき、当時は痛み止めのモルヒネが使えなくて、もがき苦しんで亡くなったのを思い出しました。
病気に対する処方はその時代時代で最善と思われる処置をしていたと思います。
それにしても、後悔というのはつきものでしょうね。また、そのことを知っていながら旅行に出かけたお母さんの苦労も大変だったでしょう。
じつは、私の長女も4年前に乳がんの手術をしていまして、最近では「あのとき本当に乳がんだったのかと思うほど」だといっていますが、まだ用心をセよと言う事くらいしか出来ない父親です。
2011年01月30日 22:44
オラケタルさんへ
 父親は10年前に亡くなりました。何も飲めない食べれない4カ月の後、手術で99%治るといわれて臨んだ手術でしたのでまさか万が一になるとは。「絶対生きて帰ってくるから」と手を振って臨んだ父親。それなのに、もう生きられない、治療も出来ないとは言えませんでした。そして、1年頑張りましたが、夜間の痛みが強くなり、入院。脳に転移したか、入院をきっかけに認知症が一気に進んだかで自分がなくなってしまいました。私か母かがいれば落ち着くのですが、少しでも姿が見えないと不安になって、それまで自分で起き上がることもできなかったのに、ベットから転がり落ち、ついている管を引きちぎり、看護師さんでは落ち着かせることが出来なくなってしまいました。緩和ケアに入院をと希望しましたが、本人への告知と本人の意思表示がないと緩和ケア病棟には入院できないとのことで、意思表示が出来なくなってしまっていたので、個室での入院となりました。それまで1年頑張っていたのに、入院して1週間でなくなってしまいました。最後の日はそれまでの痛みが嘘のように文字通り安らかに逝きいました。
 その後の母親のこともいろいろありました。 お嬢さんのご病気も心配ですよね。亡くなったペコさんも常々、「早期発見すれば大丈夫」
「乳がんは治る癌です」とはいってほしくないと 言っていました。もちろん、早期発見の方が再発のリスクは少ないし転移の可能性も低いですが。
 まだ用心しなさいしか、言えないではなくって、お父さんだから、そう言ってくれるのではないかしら。気楽に乳がんなんて大丈夫よなんて「慰めてくれる」あるいは、「乳がんならよかったじゃない、とれば治るでしょ?」なんていう人もいますから。たぶん、お嬢さんも誰かにそんなことを言われたりしているかもしれません。心配してくれる人がいるのはありがたいことです。
とんとん
2011年02月20日 18:23
以前から拝見していたのですが、心が辛く書き込みできませんでした。
しみじみと読ませていただきました。
ちょっと前に突然難聴になってしまって自分の体がおかしくなって初めて、その間だけ、9月に他界した一人暮らしの兄への思いが少し軽くなりました。
現在、少し体の感じが楽になると、すぐに兄への悲しみ、後悔が襲ってきます。

お父様の闘病も辛いものでしたね。
一生けん命生きてきても人間は最後に苦しい体の様態になって一生を終わらなければならない、その命の日が消えてしまうのを見ることは、本当に悲しく辛いものです。
父が12年に亡くなった時も、いろいろありました。
朝日新聞に理想的と思われるみとりをした方の記事があって、でも、それでも悩んでいるというとのこと。その気持ち分りますよね。
乳がんで手術をした人が、『初期でよかったわね。』と言われ傷つく話も聞きました。
これは経験した人でないと分らない心の世界です。

その人の病状によってひとくくりにはできないのに、知ったかぶりで善意ぶって色々言ってはいけませんね。
2011年02月20日 23:46
とんとんさんへ
  慶ももう20年近くなりますが突発性難聴になりました。やはりストレスが原因です。気持ちを楽にして休むしかないと言われてもそれが出来るならストレスにならないわけで、まあ、開き直って「いい嫁」をやめようと。。
  どんな亡くなり方をしても家族・肉親には後悔ばかりです。でもそれは愛していたから。愛されていたから。亡くなって悲しむ相手がいることは幸せなことなのだと。
 同級生に双子の妹を乳がんで亡くした人がいます。母親も20年前に乳がんで母親は今もお元気です。でも自分も同じ乳がんでかなり進行していたんです。今は元気になりましたが、3年ほど前はご主人もどうしたらいいかと泣いていました。妹さんが亡くなった時はどんなにつらいかと、こちらの方が泣いてばかりで、お姉ちゃんに(ニックネームです)むしろ慰められてしまいました。お母さんもお姉ちゃんももし自分が死ぬ時にはああやって死にたいと思うような亡くなり方だったというのです。自宅療養で、最後はお母さんが妹のところに泊まり込んで看病していて、丁度連休で、妹の子どもたちも帰ってきており、お姉ちゃんもお見舞いに行っていた時、お水がほしいというのでお母さんが飲ませたら、にっこりして「皆ありがとう。」と言って亡くなったそうです。そして、お母さんとお姉ちゃんは、いつも妹はそばにいてちゃんと話が出来るし、自分たちが天国に行ったら妹に会えるから死ぬもの怖くないよと。自分たちも生と死を文字通り見つめてきたので言える言葉なのでしょう。
 思う人がいれば、その人は生きていると思うのです。お兄さんの事も思ってくれるとんとんさんがいれば、いつでもお兄さんはとんとんさんのそばにいてくれるのではないでしょうか。

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